| して・ツレ |
家路{いえぢ}もさぞな須磨の浦。
少しが程の通{かよ}ひ路{じ}も。
山に入り浦に出づる。
憂{う}き身{み}の業{わざ}こそ物憂{ものう}けれ |
| して・ツレ |
問{と}はばこそ 独{ひと}り詫{わ}ぶとも答へまし。 |
| 上げ歌 |
須磨の浦 藻塩{もしほ}誰{たれ}とも知られなば。 |
| |
藻塩誰とも知られなば。 我にも友のあるべきに。
余りになれば詫人{わびびと}の親{した}しきだににも疎{うと}くして。
住めばとばかり思ふよや 憂{う}きに任{まか}せて過{す}ごすなり
憂きに任せて過ごすなり |
| 問答 ワキ |
如何{いか}にこれなる草刈達{くさかりたち}に 尋ね申すべき事の候 |
| して |
此方{こなた}の事にて候ふか 何事{なにごと}にて候ふぞ |
| ワキ |
唯今{ただいま}の笛は かたがたの中に吹{ふき}き給{たま}ひて候ふか。 |
| して |
さん候我等{われら}が中に吹きて候 |
| ワキ |
あら優{やさ}しや。 その身{み}にも応{おう}ぜぬ業。 返{かへ}すがえすもやさしうこそ候へ |
| して |
その身にも応ぜぬ業と承{うけたまは}れども。 夫{そ}れ優{まさ}るをも羨{うらや}まざれ。 劣{おと}るをも賎{いや}しむなとこそ見えて候へ。 |
| ツレ |
その上{うへ}樵歌{せうか}牧笛{ぼくてき}とて 草刈の笛{ふえ}樵{きこり}の歌は。 |
| して・ツレ |
歌人{かじん}の詠{えい}にも作りおかれて。
世{よ}に聞{きこ}えたる笛竹{ふえたけ}の。
不審{ふしん}を為{な}させ給ひそとよ |
| 掛合 ワキ |
実{げ}に実にこれは理{ことわり}なり。
さてさて樵歌牧笛とは |
| して |
草刈の笛 |
| ワキ |
木樵{きこり}の歌の |
| して |
憂{う}き世を渡{わた}る一節{ひとふし}を |
| ワキ |
歌{うと}ふも |
| して |
舞{も}ふも |
| ワキ |
吹{ふ}くも |
| して |
遊{あそ}ぶも |
上げ歌
地謡 |
身の業の。 好{す}ける心に寄竹{よりたけ}の。
好ける心に寄竹の。 小枝{こえだ}蝉{せみ}折{をれ}さまざまに。 笛の名は多{おほ}けれども
草刈の 吹く笛ならば これも名は。 青葉{あをば}の笛と思{おぼ}し召{め}せ。
住吉{すみよし}の汀{みぎは}ならば 高麗笛{こまぶえ}にやあるべき。
これは須磨の塩木{しほき}の 海人{あま}の焼{や}きさしと思{おほ}しめせ
海人の焼きさしと思しめせ |
| 掛合 ワキ |
不思議{ふしぎ}やな 余{よ}の草刈達{くさかりたち}は皆々{みなみな}帰{かへ}り給{たま}ふに。
御身{おんみ}一人{にん}とゞまり給ふ事。 何{なに}の故{ゆえ}にてあるやらん |
| して |
何の故とか夕波{ゆふなみ}の 声{こえ}を力{ちから}に来{きた}りたり。 十念{じふねん}授{さず}けおはしませ |
| ワキ |
やすき事十念をば授{さづ}け申すべし それにつけてもおことは誰{た}そ |
| して |
真{まこと}は我は敦盛の。 ゆかりの者にて候ふなり |
| ワキ |
ゆかりと聞けばなつかしやと。 |
| して |
掌{たなごころ}を合{あ}はせて 南無阿弥陀仏 |
| ワキ |
若我成仏十方世界{にやくがじょうぶつじつぽうせかい} |
| して |
念仏衆生摂取不捨{ねんぶつしゆじやうせつしゆふしや} |
| 地謡 |
捨{す}てさせ給ふなよ。
一声{ひとこえ}だにも足{た}りぬべきに。
毎日毎夜{まいにちまいや}の御弔{おとむら}ひ。
あら有難{ありがた}や我が名をば。
申さずとても明暮{あけくれ}に。
向{むか}ひて回向{えかう}し給へる
その名{な}は我と言ひ捨てゝ
姿{すがた}も見えず、失{う}せにけり
姿も見えず失せにけり |
| 間狂言 |
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問答 間 |
これは須磨に住まひする者にて候。 今日は罷り出で船の通ひを眺め。 心を慰めばやと存ずる。 これなるお僧はこのあたりにては 見慣れ申さぬが。 いづ方より御出でにて候ふぞ |
| ワキ |
これは都方より出でたる僧にて候。 御身はこのあたりの人にてわたり候ふか |
| 間 |
なかなかこのあたりの者にて候 |
| ワキ |
さやうに候はばまづ近う御入り候へ。 尋ねたき事の候 |
| 間 |
心得申して候。 さて御尋ねなされたきとはいかやうなる御用にて候ふぞ |
| ワキ |
思ひも寄らぬ申し事にて候へども。 この所は源平両家の合戦の巷と承り及びて候。 平家の公達敦盛の果て給ひたる様体。 御存知においては語って御聞かせ候へ |
| 間 |
これは存じも寄らぬ事を承り候ふものかな。 我等もこのあたりには住まひ申せども。 さやうの事詳しくは存ぜず候さりながら。 始めて御目にかかり御尋ねなされ候ものを。 何とも存ぜぬと申すも如何にて候へば。凡そ承り及びたる通り御物語り申さうずるにて候 |
| ワキ |
近ごろにて候 |
| 語り 間 |
さる程に平家は寿永二年秋の頃。 木曾義仲に都を落され。 この所へ移り給ふが。
源氏は六方余騎を二手に分けて。 左右なう打ち破り。 御一門は散々{ちりぢり}に落ち給ふ 中にも修理の大夫 經 盛の御子無官の大夫敦盛と申すは。 御座船に乗らんとて汀の方へ御出でありしに。小枝と申す御秘蔵の笛を本陣に忘れ給ふが。 跡にて敵に取られん事を口惜しく思し召し。 又本陣に御帰りありて。
笛をとり汀へ御出でありしに。 御磯馴松座船を始め兵船ども悉く沖へ出で申し候間。馬に強し泳がせんとて。 馬を海へ打入れ給ふ所に。 武蔵の国の住人熊谷の次郎直実扇を開き招きければ。 敦盛やがて取って返し。 波打際にむづと組み。 両馬が間にどうと落ちる。 熊谷は大剛の者なればその儘取って抑へ。 首をかゝんとして内兜を見れば。 十五六ばかりと見えて化粧して。 鉄漿{かね}黒々とつけ給ふ間。
あつぱれよき武者かな。 助けばやと後を見れば。 土肥梶原十騎ばかり続きたり。
熊谷申すやうは。 助け申したく候へども。 御覧の如く大勢続きたり。
熊谷が手にかけ御跡懇に弔ひ申さんとて。 御首かき落し
御死骸を見奉れば。 腰に錦の袋に笛の御座候間。 即ち大将の見参に入れしに。真にかゝる折節笛を持ち給ふ事は。 公達の中にてもやさしき御方なりとて。 皆々鎧の袖を濡らしたると申す。 その後御名を尋ぬるに。 經 盛御子無官の大夫敦盛にて御座ありたると申す。
真や人の申すは。 熊谷は出家して敦盛の御菩提を弔ふと申すが。 さやうの者ならばその時助け申さうずるに。 助けぬ者ならばこれは偽りにて候ねし。 その熊谷がこの所へ来れかし。 打ち殺して敦盛の孝養{きやうやう}に致したくとの申し事にて候。
まづ我等の承り及びたるはかくの如くにて御座候が。 何と思し召し御尋ねなされ候ぞ。 近頃不審に存じ候 |
| ワキ |
懇に御物語り候ものかな。 今は何をか包み申すべき。 これは熊谷の次郎直実出家し。 蓮生と申す法師にて候。 敦盛の御菩提を弔ひ申さん為。 これまで参りて候よ |
| 間 |
扨{さて}はその時の熊谷殿にて候か。 さやうの事とも存ぜず聊爾{りようじ}なる物語申して候御免候へ。 扨善に強きは悪にも強しと申すが。 かたがやの事に候べし。 弥々敦盛の御跡御弔ひあれかしと存じ候 |
| ワキ |
いやいや苦しからず候。 この所へ来り候も 敦盛の御跡弔ひ申さん為にて候間。 暫く逗留{とうりゅう}申し弥々有難き御 經を読誦{どくしょう}し。 かの御跡を懇に弔ひ申さうずるにて候。 |
| 間 |
さやうにて候はば御宿を申さうずるにて候 |
| ワキ |
頼み候べし |
| 間 |
心得申して候 |
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| 待謡 |
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| ワキ |
これに付けても弔{とむら}ひの
これに付けても弔ひの。 法事{ほふじ}をなして夜{よ}もすがら。 念仏{ねんぶつ}申し敦盛の。 菩提をなほも、弔はん 菩提をなほも弔はん |
| げのえい |
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| シテ |
淡路潟{あわぢがた}かよふ 千鳥{ちどり}の声きけば。 寝覚{ねざめ}も須磨の。関守{せきもり}は誰{た}そ |
| 掛け合い |
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| シテ |
如何に蓮生{れんせい}。 敦盛こそ参りて候へ |
| ワキ |
不思議やな 鳧鐘 { ふしよう } を鳴らし法事をなして。 まどろむ隙{ひま}もなき所に。 敦盛の来り給ふぞや。 さては夢にて有るやらん |
| シテ |
何しに夢にて有るべきぞ。 現{うつつ}の因果{いんぐわ}を晴{は}らさん為に。 これまであらはれ来{きた}りたり |
| ワキ |
うたてやな 一念弥陀仏即滅無量の。 {いちねんみだぶっそくめつむりょうの}罪障{ざいしょう}を晴{は}らさん称名{しょうみょう}の。 法事{ほふじ}を絶{た}えせず弔ふ功力{くりき}に。 何の因果は荒磯海{ありそうみ}の |
| シテ |
深{ふか}き罪{つみ}をも訪{と}ひ浮{うか}べ |
| ワキ |
身は成仏の得脱の縁 |
| シテ |
これ又他生{たしやう}の功力{くりき}なれば |
| ワキ |
日頃は敵{かたき} |
| シテ |
今は又 |
| ワキ |
真に法{のり}の |
| シテ |
友なりけり |
| 歌 |
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| |
これかや。 悪人{あくにん}の友を振り捨てて善人{ぜんにん}の。 敵を招けとは。御身の事か有難や。 有難し 有難し。とても懺悔{ざんげ}の物語夜{よ}すがらいざや、 申さん夜すがらいざや申さん 申さん夜すがらいざや申さん |
| クリ |
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「夫れ春の花の樹頭{じゅとう}に上るは。 上求菩提{じやうぐぼだい}の機をすゝめ。 秋の月の水底{すいてい}に沈{しづ}むは。 下化{げけ}衆生{しゆじやう}の。 形{かたち}を見す」 |
| シテ |
然{しか}るに一門{もん}門{かど}を並{なら}べ。 累葉{るい}枝{えだ}を連{つら}ねし粧{よそほひ} |
| 地 |
真に槿花{きんくわ}一日{じつ}の栄{えい}に同{おな}じ。 善{よ}きを勧{すす}むる教{をし}へには。 逢ふ事かたき石の火の。光{ひかり}の間ぞと思はざりし 身の習{なら}はしこそはかなけれ |
| シテ |
上{かみ}に在つては。 下{しも}を悩{なや}まし 富{と}んでは驕{おごり}を。 知らざるなり |
| 地 |
然るに平家。 世を取つて二十余年{よねん}。 真に一昔{ひとむかし}の。 過{す}ぐるは夢の中なれや。 寿永の秋の葉{は}の四方{よも}の嵐に誘{さそ}はれ 散々になる一葉{えう}の。舟{ふね}に浮き波に臥{ふ}して 夢にだにも帰{かへ}らず。 籠鳥{ろうてう}の雲{くも}を恋{こ}ひ。帰雁{きがん}列{つら}を乱るなる。 空{そら}定{さだ}めなき旅衣{たびごろも}。日も重{かさ}なりて年月{としつき}の。立ち帰る春の頃 この一の谷に籠{こも}りてしばしはこゝに須磨の浦 |
| シテ |
うしろの山風{やまかぜ}吹き落ちて |
| 地 |
野{の}もさえかへる海際に。 舟の夜となく昼となき。千鳥{ちどり}の声も我が袖{そで}も。波にしをるゝ磯枕{いそまくら}。海人{あま}の苫屋{とまや}に共寝{ともね}して。須磨人{すまびと}にのみ 磯{そ}馴松{なれまつ}の。立つるや夕煙{ゆふけむり}柴{しば}と云ふもの折{を}り敷きて。思ひを須磨の山里{やまざと}の。 かゝる所に住{すま}ひして。須磨人になりはつる一門の果ぞかなしき |
| 掛け合い |
|
| シテ |
さても二月{きさらぎ}六日{むいか}の夜{よ}にもなりしかば。 親にて候ふ経盛{つねもり}我等を集め。 今様{いまやう}をうたひ舞ひ遊びしに |
| ワキ |
さてはその夜の御遊なりけり。 城{じやう}の内にさも面白き笛の音{ね}の。 寄手{よせて}の陣{ぢん}まで聞こえしは |
| シテ |
それこそさしも敦盛が。 最期{さいご}まで持ちし笛竹の |
| ワキ |
音も一節{ひとふし}をうたひ遊ぶ |
| シテ |
今様{いまやう}朗詠{ろうえい} |
| ワキ |
声々に |
| 地 |
拍子{ひやうし}を揃へ声をあげ |
| シテ |
さる程に。御舟を始めて |
| 地 |
一門皆々{みなみな} 船に浮{う}かめば 乗りおくれじと。汀にうち寄れば。 御座舟{ござぶね}も兵船{ひやうせん}も遥{はるか}にのび給ふ |
| シテ |
せん方波に駒{こま}をひかへ。 あきれ果てたる 有様なり。 |
| 地 |
かゝりける所にうしろより。 |
| |
熊谷の次郎直実。 の |
| |
がさじと。 |
| 地 |
追つ懸{か}けたり 敦盛も。 |
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馬引き返し。 |
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波の打物{うちもの}抜いて。 |
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二打{ふたうち}三打{みうち}は |
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打つとぞ見えしが 馬の上にて。 引つ組んで |
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波打際に。 |
| 地 |
落ち重なつて。 終{つひ}に。討たれて失せし身の。因果{いんぐわ}は廻{めぐ}り合{や}ひたり |
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敵はこれぞと |
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討たんとするに。 |
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仇{あだ}をば恩{おん}にて |
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法師{ほふじ}の念仏{ねんぶつ}して弔はるれば。終には共に 生まるべき |
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同じ蓮{はちす}の |
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蓮生法師{れんせいはふし}。敵にては無かりけり |
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跡弔ひてたび給へ跡弔ひてたび給へ
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